この文章を読み終えたとき、あなたは
「『時間』というものを全くわかっていなかった」
ということに気づくでしょう。
途中の話は、詳しい人ならば知っている話もあると思いますが、ぜひ最後まで読んでいただきたいと思います。
■動いている物体は、時間の進み方が遅くなる
特殊相対性理論から導かれる重要なポイントの1つが
動いている物体は、時間の進み方が遅くなる
ことです。
・その場に止まっているAさんと
・Aさんに対して、光の速さの99.5%のスピードで動くBさん
を考えましょう。
地球上でこんなスピードで動いたら、衝撃波で周囲数kmの地面はえぐれ、建物は粉々になる上、風圧でBさんの体はぺしゃんこになってしまいますので
Bさんは宇宙空間でも生きられて光速の99.5%で走ることができるとします。何者だ、Bさん。
このとき、Aさんが10年分歳をとる間に、Bさんは1年しか歳をとりません。
なんというアンチエイジング。将来は「相対論アンチエイジング」が流行るに違いありません。
Aさんからすれば「Bさん、ずるい!私も相対論アンチエイジングする!」という話ですが、
Bさんからすれば、1年しか経たない間に、Aさんが10年歳をとっていたわけですから、未来へのタイムトラベルに成功したといえるでしょう。
おとぎ話の『浦島太郎』に似ているので、これを「ウラシマ効果」と呼ぶこともあります。
動くスピードが早くなればなるほど、時間の進みは遅くなりまして
・光速の90%の速度で動くと、0.44倍
・光速の99%の速度で動くと、0.14倍
・光速の99.5%の速度で動くと、0.10倍
と、時間の進み方が遅くなります。
ちなみに『浦島太郎』が相対論の効果によるものだとすれば、
浦島太郎は、光速の99.999999962%という、とてつもない速度で動いていたことになります。
(竜宮城で3日過ごす間に、地上では300年経っていたとした場合)
■一人ひとり時間の進み方は異なる
さて「時間が遅れる」ことの意味を考えてみると
僕ら1人1人の時間の進み方は異なる
ということが分かります。
僕らは絶えず動いています。
・朝、布団から出て、洗面所に向かうとき、時速3kmで歩きます。
・家から駅まで、時速15kmで走ります。
・仕事に行くときに電車に乗れば時速100kmで動きます。
・もちろん止まっているときもあります。
このそれぞれで、ほんのちょっとだけ時間の進みが遅くなっているわけです。
1人1人動きは異なりますから、時間の進み方も1人1人異なります。
「君と一緒に時を刻んでいきたい」なんてプロポーズがあったりしますが、それはできないわけです・・・残念でした!爆発しろ!
僕らは、時間の進み方は、万人共通だと思っていますが、実際はそんなことはないのです。
だから、デートに女の子が遅れてやってきたとしても
いや遅れるどころか、2時間待ってもやってこなくても
きっとそれは、その女の子が、光速に近い速度で動いていて時間の進み方が遅いだけなのです。
間違っても僕がふられたわけではない。すべては相対性理論のせいなのだ。
ただし、相対性理論による時間の遅れが問題になるのは、光速の数%以上くらいのものすごい速度で動いた場合だけです。日常生活において、相対性理論による時間の遅れを意識することは、まずないでしょう。
■「絶対時間」という幻想をぶち壊す
しかし、僕らが意識できる・意識できないに関わらず、事実として、一人ひとりの時間の進み方は異なります。
このことの哲学的意味は、きわめて大きいものがあります。
なぜならば、相対性理論が出る前には当然のごとく信じられていた「絶対時間(時間の進み方はすべての人に共通だという考え)」を根底からぶち壊したからです。
現代の日本に生きる僕らには、そこまで衝撃的ではないかもしれませんが、当時の西洋の人には、とんでもない話です。
当時の(今もですが)西洋はキリスト教社会です。
聖書に手を置いて大統領が演説しますし、日曜日に教会に行かなかったら変人扱いされる社会です。
(少なくとも建前上は)「政教分離」が言われている日本とは、まったく感覚が異なります。
そのキリスト教は、天地創造の「神」の存在を大前提とします。
そして「絶対時間」とは、その「神」から見た時間であると暗黙に了解されていました。
アインシュタインが何を考えていたかは分かりませんが、「絶対時間の否定」が当時の社会にどれほどのインパクトを与えたか、察するに余りあります。
■あなたが言ってる「時間」って何ですか?
動いている物体は、時間の進み方が遅くなる
ということを、さらに突き詰めると、僕らの体のそれぞれで時間の進み方が異なることが分かります。
・「手」の動きと「足」の動きは異なるでしょう。ということは時間の進み方が異なるということです。
・「手」でも、それぞれの「指」の動きは異なります。つまり、それぞれの指の時間の進み方は違うのです。
・さらにいえば、肉体をつくる60兆の細胞の一つ一つ、動きが異なります。ということは時間の進み方が違います。
・もっと言うと、細胞をつくっている原子の1つ1つで時間の進み方が異なっているわけです。
なんと、時間の進み方は「1人1人異なる」くらいではなく、1人の人間の中でさえ「原子の1つ1つで異なる」わけです。
こうなると「時間」とは何なのか、本当に分からなくなってきます。
時間とは何か?に対する明確な答えは、現代物理学にもまだありません。
それでも、まずは
「本当は分かっていないのに”分かったつもり”になっている」というイタい状態から
「『分かっていない』と分かっている」レベルへと進みたいものです。